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和歌山県を巡る
多様な実りを結実させる
小さな平地と果樹の山
取材先:JAわかやま
紀伊半島の南西部に位置し、その昔は「木の国」と呼ばれていたと伝わる和歌山県は、面積の8割以上を山地が占めています。まとまった平地は東隣の奈良県から紀伊水道へ西進する県北部にある紀の川流域のみ。その他は有田川や日高川、熊野川など、紀伊山地を水源とする河川の下流に小さな平場が海岸線に点在。傾斜の多い地形を生かした独自の農業が模索され、例えば江戸時代初期には急斜面を生かした梅栽培が広まりました。同じく果樹の和歌山のみかんは、江戸時代初期には江戸の街で人気を得ていたといいます。ある年に海が荒れてみかん船を江戸に出港できない日が続いた時、若干17歳の文平という青年が仲間と命がけで出港。無事に江戸にたどり着くとみかんを心待ちにしていた江戸では飛ぶように売れました。文平はこの資金を元手に江戸時代屈指の豪商・紀伊国屋文左衛門へと成長するのでした。

明治時代以降は、品種改良や栽培技術の研究により、梅やみかん、柿、桃などの市場出荷が定着していき、果樹王国・和歌山が形づくられていきました。現在も、数多くの果樹で全国1位の収穫量を記録。他方、関西圏を中心に各地の需要を支える野菜や花きの栽培も盛んです。黒潮に影響された温暖な気候を土台に、地域ごとの土壌や地形、環境、地域性などを生かした、多様な農業が根付いています。

