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大分県を巡る

多様な文化が息づく
豊の国

取材先:JAおおいた

 その昔、大分県は豊国、そして豊前・豊後と呼ばれていました。大分の名前の由来には諸説あり、近年では「多き田」が転じたとの見解が定説です。まとまった平地が少なく、山や谷による複雑な地形の多い同県では、小さな田んぼの連なる棚田が古くから数多く築かれました。そのような姿を今に残すのが、豊後高田市にある田染荘であり、中世から続く田園風景が住民によって守られています。
 田染荘を長年にわたり荘園領主として管轄したのは、国東半島の根元に創建された宇佐神宮です。全国に約4万4千社ある八幡宮の総本社であり、神道と仏教を一体化する神仏習合の起源といわれます。国東半島には六郷満山と呼ばれる寺院群がつくられ山岳宗教文化が浸透し、山中につくられた熊野磨崖仏は国の重要文化財に指定されています。他にも大分県内には磨崖仏としては初めて国宝指定を受けた臼杵石仏をはじめ、県内各地に約400体ともいわれる摩崖仏が悠久の時を越え県民を見守り続けています。

 大分県は地形の複雑さゆえに利水の難しい場所も多々あり、そのような場所では小麦の生産が積極的に行われました。小麦粉を用いた創作料理はやがて県民のソウルフードとなり、大分県独自の食文化として定着しています。

*JAおおいたの管轄地域は、大分県(別府市、速見郡日出町、日田市大山町、中津市耶馬溪町の一部を除く)です。