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千葉県を巡る

今を潤す先人の遺構

取材先:JAきみつ

 房総半島の中西部に位置する君津市、袖ケ浦市、富津市は、明治時代には君津郡に属していました。直線距離で東京の都心から約50km圏にあり、車で東京湾アクアラインなどを利用すれば約60分程度で往来できます。
 当地は南関東最大級の前方後円墳が築かれるなど、近畿地方の大和政権との関係が深く、三市の地名も日本武尊(やまとたける)の東征に由来するという説があります。日本武尊の一行が海上で暴風に遭った際、妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が自ら犠牲となって入水し、海神を鎮めました。日本武尊は大変悲しみ「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」と言葉を残したのです。「君去らず」が「君津」や木更津の地名となり、袖が流れ着いた浦ということで「袖ケ浦」、布が流れ着いた津の「布流津(ふるつ)」が「富津(ふっつ)」に転じました。

 近郊に大消費地・江戸が誕生した江戸時代以降、河川工事や卓越した井戸掘り技術などで当地は農地が拡大。近世から近代に先人が遺したいくつもの構造物や設備は、今も現役で地域の暮らしを支えています。現在は豊富な地下水を利用した花卉栽培をはじめ多様な農業が発展。観光農園も盛んで東京・神奈川などから数多くの方が農業体験を楽しみに訪れます。