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長野県を巡る
両河川の流れと共に
取材先:JAグリーン長野
千曲川と犀川に囲まれた長野盆地の南部は、両河川が北アルプスなどから運ぶ、豊富な水と肥沃な土壌の恩恵を受ける実り豊かな地域です。地殻変動や火山活動、河川の浸食などにより地形は起伏に富み、海抜300~1,000mの地帯に、果樹や野菜、米などを育む約4,200haの農地が営まれています。特にりんごや桃、ぶどうなどの果樹は、高い品質で全国に知られ、フルーツ王国・長野県の一翼を担います。
恵まれた農業環境のある当地では、古くから人々が集落を築き、山々に囲まれた盆地の中で独自の文化と歴史を成熟させました。中世には戦国時代の龍虎相打つ、上杉謙信と武田信玄が当地の川中島で激しく火花を散らしたことは有名です。江戸時代には天下人・徳川家康をあと一歩のところまで追いつめた真田信繁(幸村)の兄・信之を藩祖とする松代藩が、松代を拠点に長野県北部を明治時代まで治め、地域の発展に努めます。松代藩は江戸時代末期に吉田松陰や坂本龍馬など、多くの志士に影響を与えた幕末の傑物・佐久間象山を輩出しています。
明治時代に入ると、長野県は国策である養蚕業が盛んとなり、長野盆地でも昭和の戦前まで養蚕が経済活動の中心を占め、日本の近代化を支えました。その後、養蚕業が衰退すると、蚕の餌となる桑の木を育てていた畑は、りんごをはじめとする果樹園へと姿を変え現在に至ります。