AGRIFUTURE Vol.68
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P.07十郎梅が誕生してから約50年みんなの熱意と協力で一所懸命に育ててきました農業のホント ホンネ ホンキ神奈川県小田原市(曽我地区)梅生産者〈前列左から〉穂坂美代子さん柏木泰三さん≪インタビュー≫ 小室万里子さん≪インタビュー≫〈後列左から〉磯崎由広さん 穂坂成雄さん 穂坂ゆかりさんWe reveal the beauty of agriculture from the perspective of farmers, their wonderful produce and the history of regional agriculture.  小田原市の梅は歴史が古く、戦国時代に小田原北条氏が統治していた以前から梅の栽培がおこなわれていたと言われています。ここ曽我梅林の土壌は山から運ばれた砂で形成されており、田んぼを作るのには不向きで、水はけの良い土地に合う梅が植えられるようになったそうです。現在は、約3万5千本の梅の木があり、毎年、2~3月に開かれる「梅まつり」には50万人以上もの人々が訪れ、梅の花が咲き誇る様子を楽しんでくれています。私たちは毎日、富士山を見ているから何も思いませんが、都会から初めて来る人などは「ここに住みたくなる絶景ですね」とよく言ってくれますね。 曽我梅林で最も多く栽培されているのは、十郎梅という品種です。50年以上前に小田原で育種・命名されたオリジナル品種で、果肉が厚く柔らかいことから梅干し用品種として重宝されています。十郎梅という名前は、当地が日本三大仇討で知られる曽我五郎、十郎兄弟に所縁があることと、当時の小田原市長だった鈴木十郎さんが梅の普及に熱心に取り組んでくれていたことから昭和35年に命名されました。 十郎梅が誕生するなど、昭和30年代から産地の様相は大きく変わっていきました。それ以前は、梅も梅干しも各梅農家が個人で販売していたんです。それが、私を含め若い跡取りが増えてきて、「地域で団結して梅を盛り上げていこう」という流れになり、JAに集めて規格を統一して販売するようになりました。 また、とても景色の良い場所にありますから、宅地化の波に飲まれるのは避けたいと、市街化調整区域の指定を行政に掛け合いました。農家が安心して力を発揮できる環境が整うと生産部会の活気も増し、梅まつりを始めるようになったんです。我々が生産、加工している梅や梅干し、梅酒などのPRに活かそうというのが狙いでした。 視察へも毎年のように出かけましたね。堆肥をたくさん入れていた埼玉県の越生町、霜から梅を守る防霜ファンの試験運用をしていた和歌山県など、良いものはどんどん取り入れてきました。和歌山県の産地に「そちらでも梅まつりをやってみたらどうですか?」と勧めると、しばらくして始めるようになりましたよ。 私は就農してから50年以上、曽我梅林の梅を大きく成長させて次の世代につなげたいと、みんなと協力して一所懸命にやってきました。これからもずっと、毎年、美味しい梅が実るよう、美しい花が咲くように若い人達の力を期待しています。 「梅の香」は別所地域の梅農家の奥さんたちで作る組織です。傷があったり破れたりして正規の梅干しとして販売ができないものを、「もったいない」「なんとか商品にしたい」という想いから、梅干しから加工品を作る集まりとして30年ほど前に結成されました。梅干しを実と種に上手に取り除く作業を、昔はそれぞれが自宅で包丁を使って手作業で行っていて本当に大変でしたね。 集めた実の中に、シソや砂糖、梅酢を混ぜたりして色々と実験した結果、今の「ねり梅」などが商品化に至りました。新しい商品の開発もJAと協力して進めています。梅はとても健康に良いものです。疲れも取れるし胃腸にも良いですから、ぜひ、食べる機会を増やしてもらいたいんですよ。しかし、酸っぱいのが苦手とか、塩抜きして蜂蜜につけた梅が好きという若い方もいます。私達も梅干しだけでは販売が限定されるので、女性ならではのアイデアで商品開発に取り組みたいと思っています。 「梅の香」も一番若い人が50代で、平均年齢は随分と高くなりました。年長者は93歳で立ち上げ当時からいる大先輩です。とてもお元気でみんなと一緒に作業するのが楽しいみたいで、生き生きと働いていますね。技術面でも見習わないといけない点は多々あるのですが、なにより、その歳まで元気で作業できるのが一番素晴らしいと、いつも感心しています。小田原のオリジナル品種一致団結して挑んだ梅作り《梅生産部代表 柏木泰三さん》先輩が見せる働く喜び《梅の香女性部代表 小室万里子さん》

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