AGRIFUTURE Vol.68
2/16

 神奈川県北西部に広がる丹沢山地は、もともとは南海に浮かぶ火山島で、約600万年前にフィリピン海プレートの北上に伴って本州に到達した。その500万年後、後を追うように伊豆半島も南海から本州に衝突し、現在の地形になったという。 この丹沢山地と伊豆半島の接合地に位置するのが、神奈川県西部、西湘と呼ばれる地域である。丹沢山地を水源とする酒匂川(さかわがわ)の清らかな水や、相模湾の沖合を流れる黒潮がもたらす温暖な気候、起伏に富んだ地形など、恵まれた自然環境は古くから人の営みを支えてきた。中世・戦国時代には、関東一円を治める北条氏が当地を拠点とし、戦国一の民政家と謳われた第3代当主・北条氏康は、日本初の上水道といわれる小田原早川上水の造成や、目安箱の設置、税率引き下げによる農民の負担軽減など、民衆が安心して暮らせる領国経営に努めた。 天下統一の総仕上げとして、小田原北条氏を攻めた豊臣秀吉は、小田原城を見下ろす石垣山に、関東初となる総石垣の城・石垣山一夜城を築いた。小田原の城下町や相模湾、晴れた日は三浦半島や房総半島まで望める絶景を前に、秀吉は徳川家康を連れ小便に誘い「関東をそなたに与える」と国替えを命じたという。これに従い関東に入った家康は、石垣山から眺めた「小田原」を手本に、神田上水や玉川上水をはじめとする水道網の整備を進めるなど、当時世界最大の100万都市「江戸」の礎を築くのである――。*JAかながわ西湘の管轄地域は、小田原市、南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町です。「江戸」の手本となった「小田原」P.01取材先 JAかながわ西湘小田原市小田原市南足柄市南足柄市中井町中井町大井町大井町松田町松田町山北町開成町開成町箱根町湯河原町湯河原町真鶴町真鶴町神奈川県神奈川県

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る