AGRIFUTURE_Vol.46
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P.07岡田徹さん(35歳)埼玉県さいたま市緑区いちご生産者明確な指針を定めながら自分が求めた農業の姿を追求してこの土地にも立派な農業があることを示しますよ 私が生まれ育ったこの地域は、昔から植木の産地として有名で父も植木の生産者でした。小さい頃から家の手伝いをしていましたが、サラリーマン家庭が圧倒的に多い地域で、作業着姿で地下足袋を履いて軽トラックを運転する姿が格好悪くて、農家を継ぐのに物凄く抵抗があったんです。農業を避け普通科の高校に行きましたけど、家業を無視することもできない状態で、「植木職人や仲卸業ならいいかな…」という煮え切らない感じでした。 そんな時、いつものように仕方なく家の手伝いで畑に出たら、近所の農家の畑に向かってズラーッと車の渋滞ができていたんですよ。その農家は植木からブルーベリーに切り替えて観光農園を始めていました。畑に町の人が集まって列を作っている姿は、私にはとても華やかに映りましたね。その時、観光農園をやってみたいなと思ったことが今につながる原点です。 高校を卒業してから3年間、農業者大学校で学びながら観光農園をするなら何が良いかを色々と検討していました。半年間、静岡県にあるいちごの観光農園で住み込みの研修をさせてもらいイメージと手応えを得たので、いちごで勝負することに決めたんです。 家に戻り「いちごの観光農園」の話をすると両親は驚いていましたね。父親は昔ながらの職人気質で当初は大反対していましたが、一方で時代の変化を感じる柔軟性のある人で、自分と一緒に新しい農業を考えてくれました。 初めは自分一人で400坪の経営でスタートしました。都市近郊のこの地域では、作るのも売るのも自分でやらなければいけません。販売契約を取るためにスーパーマーケットなどを駆け巡り、契約店を徐々に増やして行きました。売れない時期があったり、団体のお客様が来る前日に竜巻でハウスの屋根が全部飛んだり、誕生日に台風が来てハウスが潰れたりと大変なこともありましたが、幸い致命的な惨事はなく、12年目を迎えた今は従業員13人、面積は5倍までになりました。 今後は法人化し、面積も1ヘクタールまで増やそうと考えています。今まで細々と手掛けていた植木や特産野菜は打ち切って、いちごの苗の販売に着手していちごの一点突破で行こうと思っています。育種は30万本を目標としています。次の5年、10年先を考えると初心に戻って、良いいちごを作ることに力を入れないといけないと感じるんです。特に従業員が増えてから、指針は明確化しなければいけないという気持ちが強くなりましたね。 苗作りは観光農園が閉まる夏から冬にかけて行います。元々が植木農家の出身ですから、苗の育つ環境を整える作業は性に合っているようです。いちごの場合は見た目以上に、苗の潜在能力も高めないといけないので奥深くて面白いんですよ。良いいちご作りは8割方、苗が占めていると私は思っています。それに苗作りはいちご栽培の目を養う上でとても良いんですよ。以前、ある苗を「これは何か違うな」と注目していたら、突然変異による新種だったんです。嬉しくて新種には長女の名前にちなんで「レイベリー」と名付けました。 うちのいちごを買ってくれる人は、「ただいちごを買う」では満足しない人だと思っています。ですから、品質はもちろん、観光農園、直売所にも付加価値を付けて、都市部のお客様のリズムに合わせた接客サービスを展開して生き残っていきたいと考えています。 この近辺は市街化調整区域で都市化を抑えていますが、今後はどう変わるかわかりませんからね。しっかりとした農園を経営して、この土地にも立派な農業があることを示し続けたいと思います。畑にまぶしく映った車の行列時代の変化に対応する選択植木農家の経験が生きる苗作り

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