AGRIFUTURE_Vol.45
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P.01津軽中南を巡る取材先:JA津軽みらい 東に八甲田連峰、西に岩木山を望む津軽平野は、南の白神山地を源流とする岩木川の北流によって形成された国内有数の沖積平野である。ここに、古代日本を代表するほどの文化都市が繁栄していたという。 縄文時代としては国内最大級の「三内丸山遺跡」や、弥生時代の水田跡を含む「垂柳遺跡」など、この地域には貴重な遺跡が集中しており、出土品から高い文化水準と盛んな交易の痕跡を確認できる。土地の開墾技術や土器の発達による豊かな食文化を背景に、古代津軽地方の人口は全国有数であった。しかし、気候変動による気温低下や、新技術を携えた大和王権の侵入により、津軽地方も律令国家に組み込まれてゆく。 奈良時代以降、しばしば辺境の地とされ、時の政権に支配される時代が続くが、誇り高い津軽の人たちは「じょっぱり」と呼ばれる反骨と不屈の精神を強く秘めて、アイヌの面影を残す津軽弁や「ねぷた祭り」をはじめ、「津軽こけし」「こぎん刺し」「津軽塗」など独自の多様な文化を醸成し、継承してきた。 現在のようにりんごの一大産地となったのも、明治時代のじょっぱりが「豊かな青森を築きたい」と栽培研究に邁進したからだ。2015年に青森県初の特A米に認証された「青天の霹靂」を生み出したのも、研究者はもちろん、米農家一人ひとりの「青森で本当に美味しい米を作りたい」というじょっぱり魂が実らせた成果である。 ある生産者は「仕事はじょっぱりじゃなきゃダメだ」と語った。自分の仕事や地域に誇りを持ち、妥協せずに一心に邁進する魂の力強さ。それが今日の津軽という郷土を創り上げてきたのだろう。*JA津軽みらいの管轄地域は青森県黒石市、平川市(平賀・尾上地区)、南津軽郡田舎館村、南津軽郡藤崎町(常盤地区)、弘前市(石川地区)、北津軽郡板柳町です。本州最北の地に咲く「じょっぱり」文化青森県平川市(平賀・尾上地区)平川市(平賀・尾上地区)黒石市田舎館村藤崎町(常盤地区)藤崎町(常盤地区)板柳町弘前市(石川地区)弘前市(石川地区)

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