AGRIFUTURE_Vol.45
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P.10JA津軽みらいの文化・名所 仁徳天皇の命令で蝦夷討伐の将となった上毛野君田道命(かみつけののきみ たじのみこと)を祀った神社。日本書紀には、田道命は東北地方に兵を進める途中で戦死したが、後に大蛇となって東北を平定したと記されている。坂上田村麻呂や藤原秀衡、津軽為信など、東北を治めた諸将から手厚く保護されたという。広大な境内を有し、現在は市民の憩いの場としても親しまれている。猿賀神社東北平定に尽力した軍神を祀る神社青森県平川市猿賀字石林175 1802年に弘前藩主が京都から約100種類の楓の苗を取り寄せ、この地に移植してからもみじの名所として親しまれるようになったといわれている。女性紀行家として知られたイザベラ・バードは明治11年にここを訪れ「長旅をしても見に来る価値がある」と絶賛した。林の中にある中野神社の境内には、樹齢500~700年の大杉が生育し、いずれも市の天然記念物に指定されている。中野もみじ山青森県有数の紅葉狩りの名所青森県黒石市南中野字不動舘27 こけしは江戸時代末期に東北地方で生まれた木地玩具。現在は産地や形式、伝承経緯などにより11系統に分類されている。「津軽系」はその一つで、青森県黒石市を発祥の地とする。頭と胴体を1本の木で造作する「作り付け」という手法で、頭部の絵付けはおかっぱ頭が多く、胴体には津軽藩家紋のボタン模様やダルマなどのねぷた絵のほか、アイヌ模様が描かれる。津軽こけしアイヌ文化を織り交ぜた日本最北端のこけし津軽こけし館青森県黒石市大字袋字富山72-1 津軽地方で数多く見られる庭園様式「武学流」の神髄を示したと言われる庭園。作庭したのは鎌倉時代からこの地に住みついた清藤家の24代目盛美(もりよし)で、小幡亭樹宗匠を招き、完成までに明治35年から9年の年月を費やした。庭園を観賞するために敷地内に建てられた「盛美館」は、1階は数寄屋造りの純和風、2階はルネッサンス調の洋館と和洋折衷したデザインとなっている。盛美園津軽地方の庭園の粋を集めた明治三大庭園の一つ青森県平川市猿賀字石林1せいびえん

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